いつ起こるかわからない自然災害。万が一のとき、プライバシーの確保やペットとの同行避難を考えて「車中泊」を選択する人が増えています。しかし、そこで最も警戒しなければならないのが、命に関わる「エコノミークラス症候群」です。
「自分は大丈夫」と思っていても、災害時の特殊な環境下では誰にでも発症するリスクがあります。この記事では、災害時の車中泊でエコノミークラス症候群を防ぐための具体的な方法や、事前に備えておくべき知識を、初めての方にもわかりやすく解説していきます。
災害時の車中泊とエコノミークラス症候群の関係とは?

災害時に車中泊を選択することは、雨風をしのぎ、家族だけの空間を確保できるという大きなメリットがあります。しかし、その一方で「動く部屋」である車内は、長時間の生活を想定して作られていないことが多く、健康被害のリスクが潜んでいます。まずは、なぜ災害時の車中泊がエコノミークラス症候群を引き起こしやすいのか、その仕組みと背景にある事情を正しく理解しましょう。
なぜ車中泊でリスクが急激に高まるのか
エコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)は、長時間同じ姿勢で動かないことによって足の静脈に血の塊(血栓)ができ、それが血流に乗って肺の血管に詰まってしまう病気です。車中泊では、狭い座席に座ったままの状態が続きやすく、足の筋肉が動かないため、血液を心臓に戻すポンプ機能が低下してしまいます。
特に災害時は、余震への恐怖や、周囲の状況を確認するために、運転席や助手席に座ったまま待機する時間が長くなりがちです。足を伸ばして寝ることが難しい軽自動車やコンパクトカーでは、膝が曲がった状態が長時間続くことで、血管が圧迫され、血栓ができやすい環境が整ってしまうのです。「たった一晩だから」という油断が、命取りになることもあります。
脱水症状が引き起こす血液のドロドロ化
血液が固まりやすくなる大きな原因の一つに「脱水」があります。災害時は水が貴重になるため、無意識のうちに水分摂取を控えがちです。さらに、車中泊特有の事情として、「トイレに行きたくない」という心理が強く働きます。
車内の温度調整が難しく、夏場はサウナのように暑くなり発汗量が増える一方で、冬場は暖房による乾燥で水分が失われます。気付かないうちに体内の水分が不足し、血液がドロドロの状態になってしまうのです。この「水分不足」と「不動の状態」が重なることで、エコノミークラス症候群のリスクは爆発的に跳ね上がります。
ストレスや恐怖心が体に与える影響
災害時特有の精神状態も、身体に大きな影響を及ぼします。余震におびえたり、避難生活の先行きが見えない不安を感じたりすることで、自律神経が乱れ、交感神経が優位になります。すると血管が収縮し、血流が悪化しやすくなるのです。
また、慣れない車中泊環境では熟睡できず、睡眠不足に陥ることも珍しくありません。精神的なストレスは、無意識のうちに体を強張らせ、呼吸を浅くします。深い呼吸は血液循環を助ける働きがありますが、緊張状態で呼吸が浅くなると、その効果も得られにくくなります。車中泊では、物理的な狭さだけでなく、こうした「心の緊張」も血栓を作る要因の一つとなることを覚えておきましょう。
命を守るための予防策:水分補給とトイレの重要性

エコノミークラス症候群を予防するための最初の一歩は、血液をサラサラに保つことです。そのためには適切な水分補給が欠かせませんが、車中泊避難では「トイレ問題」が大きな壁となって立ちはだかります。ここでは、トイレへの不安を解消しながら、命を守るために必要な水分補給のルールについて解説します。
トイレを我慢しないための水分摂取ルール
「トイレに行きたくないから水を飲まない」というのは、災害時の車中泊において最も危険な行動の一つです。成人が1日に必要とする水分量は、食事から摂る分を含めても、飲み水として最低1.2リットルから1.5リットル程度は必要だと言われています。
一度に大量の水を飲むのではなく、コップ1杯程度の水をこまめに飲むのがポイントです。「のどが渇いた」と感じた時点で、すでに体は脱水傾向にあります。のどの渇きを感じる前に一口飲む、というサイクルを意識してください。特に寝起きや就寝前は水分が不足しがちなので、意識的に水分を摂るようにしましょう。
簡易トイレの準備が安心につながる理由
水分をしっかり摂るためには、「いつでもトイレに行ける」という安心感が必要です。しかし、災害時は公衆トイレや避難所のトイレが混雑していたり、断水で使えなかったり、あるいは衛生状態が悪化していることが多々あります。夜間や雨の中、車外のトイレに行くこと自体がストレスになる場合もあります。
そこで強くおすすめしたいのが、車内に「携帯用簡易トイレ」を多めに備蓄しておくことです。凝固剤で固めるタイプであれば、臭いも気になりにくく、ゴミとして処理できます。「車の中で用を足せる」という環境があるだけで、水分補給への心理的なハードルがぐっと下がります。これは単なる便利グッズではなく、命を守るための医療器具と同等の価値があると考えてください。
アルコールやカフェイン摂取の注意点
避難生活のストレスを紛らわせるために、コーヒーやお茶、あるいはアルコールを飲みたくなることもあるかもしれません。しかし、これらには利尿作用があり、飲んだ以上の水分が尿として体外に排出されてしまう可能性があります。
特にアルコールは、分解する過程で水を消費するため、脱水を加速させます。災害時の車中泊では、アルコールは控えるのが賢明です。カフェインを含む飲み物も嗜好品程度にとどめ、水分補給のメインは水や麦茶、カフェインレスの飲料にするよう心がけましょう。また、スポーツドリンクは吸収が早いですが、糖分が多いものもあるため、水と併用してバランスよく摂取するのが理想的です。
車内でできる簡単な運動とマッサージ方法

狭い車内であっても、意識的に体を動かすことで血流を改善し、血栓ができるのを防ぐことができます。ここでは、座ったままでもできる簡単な運動やマッサージを紹介します。これらを「1時間に1回」を目安に行う習慣をつけることが、あなたの命を守ります。
ふくらはぎのポンプ作用を促す足首運動
ふくらはぎは「第二の心臓」と呼ばれ、重力で下に溜まった血液を心臓へ押し戻す重要なポンプの役割を果たしています。このポンプを動かすのに最も効果的なのが、足首の運動です。座ったままでも寝たままでも構いませんので、以下の動きを行ってみてください。
まず、つま先を思い切り上に向けて、ふくらはぎを伸ばします。次に、バレリーナのように足の甲を伸ばしてつま先を下に向けます。この「上げ下げ」を交互に20回ほど繰り返してください。さらに、足首をゆっくりと大きく回す運動も効果的です。右回り、左回りとそれぞれ行うことで、足全体の血流が良くなるのを感じられるはずです。
座ったままでできる足指の体操
足首を動かすスペースさえ確保できないほど狭い場合や、足首を動かすのに疲れてしまった時は、足の指先を動かすだけでも効果があります。靴を脱いで、足の指で「グー・チョキ・パー」を作るように動かしてみましょう。
「グー」で指をぎゅっと丸め、「パー」で思い切り開きます。これを繰り返すことで、末梢の血流が刺激されます。また、足の指を一本ずつ手で持って回したり、指と指の間を広げたりするのも良いでしょう。指先の冷えを感じる時は血行が悪くなっているサインですので、この足指体操を重点的に行って温めてください。
第二の心臓「ふくらはぎ」のマッサージ
自分自身の手を使って、直接筋肉をほぐすマッサージも有効です。両手でふくらはぎを包み込むように持ち、足首の方から膝の裏に向かって、優しく揉み上げていきます。血液を心臓に戻すようなイメージで、下から上へとさするのがポイントです。
特に膝の裏にはリンパ節や血管が集まっているので、膝裏を軽く押して刺激するのも効果的です。ただし、すでに強い痛みや腫れがある場合は、血栓ができている可能性も否定できません。その場合は強く揉むと血栓が飛んでしまう恐れがあるため、マッサージは避けて医師に相談してください。予防の段階であれば、こまめなマッサージは非常に有効です。
車外に出て歩くことの大切さとタイミング
車内での運動も大切ですが、状況が許すのであれば、定期的に車の外に出て歩くことが最も確実な予防法です。可能であれば2〜3時間に1回は外の空気を吸いながら、軽く散歩をしたり、アキレス腱を伸ばすストレッチをしたりしましょう。
車から降りて立ち上がるだけでも、足の付け根(股関節)の圧迫が解放され、血流が改善します。雨天などで外を歩くのが難しい場合でも、車のドアを開けて片足ずつ外に出し、足踏みをするだけでも違います。トイレに行くタイミングなどは、意識的に少し遠回りをして歩く距離を稼ぐなどの工夫をすると良いでしょう。
快適な睡眠環境を作るベッドメイキングの工夫

エコノミークラス症候群を防ぐためには、「寝る姿勢」が何よりも重要です。座ったまま寝ることは最大のリスク要因となります。ここでは、限られた車内スペースで、できるだけ体を水平にして安全に眠るためのベッドメイキング術を紹介します。
シートの段差を埋めて完全フラットにする
車のシートを倒して「フルフラット」と呼ばれる状態にしても、実際にはシートの凹凸や傾斜が残っていることがほとんどです。このわずかな段差や傾斜が、寝ている間に体を緊張させ、血流を妨げる原因になります。完全に平らな床を作ることが、車中泊での快眠と安全の鍵です。
バスタオルや着替え、クッションなどを活用して、シートのくぼみや段差を埋めましょう。特に腰やお尻の部分が沈み込まないように、しっかりと詰め物をします。その上に、キャンプ用のマットや厚手の毛布を敷くことで、驚くほど快適なベッドができあがります。背中が痛くならず、寝返りが打てる状態を目指してください。
車中泊マットや布団の活用法
防災グッズとして車に積んでおきたいのが、車中泊専用のマットや、自宅で使っている布団です。車中泊専用マットは、空気で膨らむインフレータータイプなどがあり、シートの凹凸を吸収してくれるため非常に優秀です。もし専用マットがない場合は、使い慣れた敷布団を折りたたんで使うのも手です。
銀マット(キャンプ用の断熱マット)も有効です。クッション性を高めるだけでなく、床からの冷えを防ぐ断熱効果も期待できます。体が冷えると血管が収縮してしまうため、保温対策も同時に行うことが重要です。寝袋がある場合でも、背中の下に一枚マットがあるだけで、寝心地と血流への影響は大きく変わります。
足を少し高くして寝る効果
寝る体勢が整ったら、さらに一工夫として「足を少し高くして寝る」ことをおすすめします。足元に丸めたタオルやバッグ、クッションなどを置き、その上に足を乗せて眠るのです。
足を心臓よりも少し高い位置に保つことで、重力の助けを借りて足に溜まった血液やリンパ液を心臓に戻しやすくします。これは足のむくみ解消にも即効性があります。ただし、あまり高くしすぎると膝が伸びきって逆に負担になることもあるので、10〜15センチ程度の高さが目安です。翌朝の足の軽さが変わりますので、ぜひ取り入れてみてください。
エコノミークラス症候群の初期症状と緊急時の対応

どれほど予防していても、長期間の車中泊ではリスクをゼロにすることはできません。大切なのは、体の異変にいち早く気づき、適切に対処することです。ここでは、見逃してはいけない初期症状と、緊急時の対応について解説します。
足のむくみや痛みのセルフチェック
エコノミークラス症候群の前兆は、まず足に現れることが多いです。定期的に自分の足を触ってチェックしましょう。特に、「片足だけが急にむくんでいる」「ふくらはぎを握ると痛みがある」「足の色が赤黒く変色している」といった症状は危険信号です。
すねの骨の上を指で5秒間強く押してみて、指を離してもくぼみがすぐに戻らない場合は、むくみが強い証拠です。また、足がなんとなく温かい、あるいは逆に冷たいといった左右差がある場合も注意が必要です。もし片足に強い痛みや腫れを感じたら、マッサージはせずに、すぐに医療機関へ相談してください。血栓ができている状態で揉むと、血栓が飛んでしまう危険があります。
息苦しさや胸の痛みを感じた時の対処
足にできた血栓が肺に飛び、血管を詰まらせてしまうと、突然の症状に見舞われます。代表的な症状は「息苦しさ(呼吸困難)」「胸の痛み」「動悸」「冷や汗」です。深呼吸をした時に胸が痛む、あるいは階段を上った時のような息切れが安静にしていても続く場合は、非常に危険な状態の可能性があります。
もしこれらの症状が出た場合は、絶対に無理に動いてはいけません。安静を保ちながら、周囲の人に助けを求めたり、救急車を呼んだりする必要があります。「少し休めば治るかも」という自己判断は禁物です。
【緊急時のチェックリスト】
・突然、胸が痛くなった
・急に息苦しくなった
・脈が異常に速い
・冷や汗が出る
・失神しそうになる
救急車を呼ぶべきタイミングと伝えること
上記の症状があり、エコノミークラス症候群(肺塞栓症)が疑われる場合は、迷わず119番通報をしてください。救急車を呼ぶ際には、オペレーターに以下の情報を明確に伝えることが重要です。
「災害避難で車中泊をしています」
「長い間、同じ姿勢でいました」
「足のむくみがあり、急に胸が苦しくなりました」
これらのキーワードを伝えることで、救急隊員や医師がエコノミークラス症候群を疑い、迅速な処置につながる可能性が高まります。災害時は救急車がすぐに来られないことも想定されますが、まずは連絡を取り、指示を仰ぐことが最優先です。
災害時の車中泊はエコノミークラス症候群対策で命を守りましょう
災害時の車中泊は、避難生活の一つの手段として有効ですが、同時にエコノミークラス症候群という見えない敵との戦いでもあります。今回ご紹介した「水分補給」「適度な運動」「快適な睡眠環境(フラット化)」の3つは、どれも特別な道具がなくても、知識さえあれば実践できるものばかりです。
「トイレを我慢しないために簡易トイレを備える」「シートの段差を埋めるためにタオルを活用する」といった事前の準備と工夫が、あなたと大切な家族の命を守ります。もしもの時に慌てないよう、防災グッズの中に弾性ストッキング(着圧ソックス)や水を追加し、一度車内で足を伸ばして寝てみるシミュレーションを行ってみることをおすすめします。正しい知識と備えで、安全な車中泊避難を心がけましょう。




